オフィス・在宅の仕事だけでなく、受験生時代の勉強する環境まで、多くの方が気を使いがちな「集中と音」の問題。「音がしていると全く集中できない」「静かな方がいい」という人がいる一方で、「無音だと気が散ってしまう」「音楽を聞きながら作業するほうがいい」という人もいると聞きます。
人によって様々な感想を持つ作業中の環境音ですが、実のところデスクワークにおいて「音」は私たちにどのような影響を与えているのでしょうか。また、効率よく仕事を進めるためには、音量や音の内容などはどのように調整したらいいのでしょうか。
今回は音と仕事の関係を、茨城大学 大学院理工学研究科で建築音響学・音響心理学について研究している辻村壮平准教授にお聞きしました。
辻村壮平先生 プロフィール
茨城大学 大学院理工学研究科 都市システム工学領域・准教授。専門テーマは建築環境工学、環境心理学、建築音響学など。これまで手掛けてきた研究論文には、「コワーキングスペースにおける知的生産性への音環境の影響とそのデザインの考え方 」(日本音響学会誌)や「オフィスの音環境と働きやすさ」(音響技術)、「A Psychological Evaluation Model of a Good Conversation in Knowledge Creative Activities by Multiple People」(Applied Sciences、共同研究)、「静穏なオフィスにおける個人の知的作業への音環境の影響に関する研究」(日本音響学会建築音響研究会資料、共同研究)などがある。
会議室と自宅は、同じ音環境でいいのか?
ーそもそも、辻村先生が研究されている「建築音響学」と「音響心理学」というのは、どういった研究なのでしょうか?
辻村先生:大きな枠組みとしては建築学に入るもので、とてもシンプルにいうと「人を取り巻く環境についての研究」ですね。
環境というのは、それを知覚する「人」を中心に考えるものです。いま自分がいる室内があって家があって、それらがたくさん建っている都市があって……という状況の中で、人が自分の周辺の環境をどう感じて、どういう影響を受けるか。人と環境の相互作用に関する事象を扱う分野です。
ーそれらの環境の中でも、特に音に着目している、ということですね。
辻村先生:環境心理学における「環境」には「音・光・温熱・空気」の4要素があるんですが、私はその中でも主に音響を専門にしています。4つのなかでも「音」の優先度は低くなってしまいがちですが……想像以上に複雑で、無視してはいけない要素なんですよ。
例えば、これまでの建築音響の分野では「音はなるべく静かにして響きを抑える」というのが原則的な考え方でした。ただ、それが全てのシチュエーションにおいて本当にベストなのか、という疑問が社会の変化によって生まれてきたりしているんです。
ーどういうことでしょう?
辻村先生:言ってしまえば「家は静かであればあるほどいいが、これは会議室でも同じことが言えるのか?」という考え方ですね。これまでは「情報交換の妨げにならないよう、会議室は静かな方がいい」というニーズが強かったですが、近年ではクリエイティブなアイデアを生むため「ディスカッションすること」の重要性が増しました。
そういう中で「ただ静かなだけでいいのか?」「作業の種類によって求められる音環境は違うのでは?」という考える人や企業が増えているのだと思います。知的生産性を高めていく上でも「働く環境と音」を考える会社も増えてきているんですよ。
集中するなら無音で、作業に応じて音をプラスする
ー本日は「仕事と音環境」についてお伺いしたいと思っています。そもそも「仕事中に音があると集中できるかどうか」については、割と意見が割れがちですよね。
辻村先生:そうですね。しかし、作業中の音に対して抱く印象は「どういった作業をしているか」や性格や年齢といった様々な要因で決まります。意見が割れることはある意味、当然なんですよね。
辻村先生:ですので「音によって集中できるかどうかは個人差がある」、というのが大前提。その上で、音が集中に与える影響については、一般的に「どんな作業をしているか」によって3つの傾向があるとされています。
ーどのような傾向があるのか、教えてください。
辻村先生:まずは、単純でそれほど頭を使わなくていい作業ですね。例えば一桁の足し算をずっと繰り返すような作業で「精神作業」ともいいます。そして次が、情報処理作業。いわゆる事務仕事や経理のようなデスクワークです。ルーチンワーク的ですが、精神作業よりも脳はたくさんの情報処理を行います。
そして最後が、知的創造です。企画立案やコンテンツを考えるような、新しいものを考え出すクリエイティブな作業ですね。
ー単純作業の繰り返しから、より頭を使う作業へ……といった感じでしょうか。それぞれの作業で、どういった音環境が必要なんですか?
辻村先生:高度な脳の処理を行う際、音楽や雑音は邪魔になります。なので、一般的な話をするなら「集中が必要なときには静かな方が望ましい」と言えるでしょう。
しかし、本当に単純なルーチンワークだと、人によっては「アップテンポな曲を流すと、リズムに合わせて同じ作業ができて効率が良かった」という結果も出ています。「基本的には静かな方がいいが、単純作業は例外の場合もある」と考えるが良いかもしれませんね。
一方で、ディスカッションを行うような「複数人での知的創造」の場面になると、逆に静かすぎるとやりにくくなるんです。アイデアを出すためのミーティングは会話のしやすさが大事ですが、会議室がシーンとしていたら、気持ち的にもなんとなく発言しにくいじゃないですか。
ーそれは緊張しちゃいますね…。
辻村先生:なので、こういう場合は、一定音量のバックグラウンドノイズがあった方がいい。
流す音は音楽でも「雨の音」や「鳥のさえずり」のような、録音された環境音を流すのでもいいと思います。アイデアを出すための会議などでは「完全に静かな状態」は避けた方がいいんです。私が大学でやっているゼミでも、緊張感を和らげる意味で音はうまく使いたいと思ってます。
ーとなると「基本的には集中したい作業中は無音の方がいい」「単純作業やディスカッションのときは目的に合わせて音を使う」ということになるんでしょうか?
辻村先生:そうなりますね。そしていずれの場合も共通しているのが、音のエネルギー、つまり音量は小さい方がいい、ということです。どんなに心地いい音でも、大きすぎるとうるさくなる。建築音響でも「音のエネルギーをどれだけ下げるか」はとても重視されています。
ー建物の遮音性を高めて「静かであればあるほどいい」という考え方ですね。
辻村先生:なのですが、空気がある以上、世の中に「無音の場所」というのは存在しないんです。シーンとしているところでも、装置で音を測ると必ず20デシベルくらいは数値が出るんですよ。
そのうえ、人間の耳ってものすごく感度が良くて、水素原子より小さい空気の粒子の動きが感知できるんです。例えば暗い場所にいるときに、感覚が鋭敏になって「なにかの気配を感じる」ことがあるじゃないですか。これは「空気圧の微細な変化を耳で捉えている」とも考えられるんです。
ーは~! そんなに高感度なんですか!
辻村先生:だから、集中するためには静かな方がいいんですが、静かすぎる場所では、逆にちょっとした物音が気になってしまうというケースもあります。最近の集合住宅は遮音性能が高いので、冷蔵庫の動作音とか蛇口から落ちる水滴の音とか、そういう小さな物音をやたらと意識してしまうんですね。
そういった音で気が散ってしまう人は、仕事中に環境音を流すのがおすすめです。こういった、「別の音を流して、気になる音を聞こえなくすること」を音響の用語で「マスキング効果」といいます。
ーちなみに「自宅ではなくカフェのほうが集中できる」という人もいますよね。今のお話を踏まえると「あんなに雑音だらけの場所で、どうして?」と思ってしまうのですが。
辻村先生:カフェなど雑音がある場所の方が集中できるというのは、音以外の要因が関係している場合があるんですよ。例えば一人では勉強が捗らない受験生が、塾の自習室に行くと「周りも勉強しているからやらないと」という意識になることはあると思います。
こういった状況を、環境心理学では行動場面や行動セッティングと呼びます。カフェにしても、周りに仕事をしている人がいると「自分もやらないと」という気持ちになっているのかもしれないですね。だから、場所を変えて仕事をすると捗るというのが、一概に音とは関係ない場合は往々にしてありますね。
ハイスコアな環境音は「波の音」だが、状況次第
ーでは、基本的には集中するためには静かな方がいいというのは前提にしつつ「マスキング効果」を得たり、ディスカッションを行う際の環境音にはどういったものを選ぶとよいのでしょうか?
辻村先生:オフィスで働く人に対して「集中」「モチベーションの喚起」「空間印象」という3つの観点で調査したときは、オフィスワークの環境音として一番スコアが良かったのは「海岸の波の音」です。
辻村先生:ただ、この結果はあくまでも「オフィスに流す環境音」としての場合です。だから、「自宅で仕事をする場合の環境音」としてこの音量が適切なのかというと、それはわからない。
ー確かに、オフィスと自宅にいるのとでは、状況も人の気持ちも全く違いますからね。
辻村先生:加えていうと、波の音は「集中、モチベーション、空間印象」で総合的なスコアが良かったというだけで「集中」だけのスコアを見ると、普通のオフィス内の「がやがや」という人の声の音もさほど差がありませんでした。「波の音はマイナスにならなかった」というだけなんですね。
ーあくまで「オフィスで流す音」として総合的に評価した場合の結果、と。
辻村先生:だから、あくまで「集中したい」というのならば、やはり静かであるほうがいいんですよ。そして、どうしても音が気になる場合はマスキング効果を狙って音を流す。
マスキング効果を得るために流すなら、もっと定常的な音の方がいいかもしれません。波は音がするときとしないときの周期があるので「川のせせらぎ」や「雨の音」などがちょうどいいでしょうか。そしてそれを、気にならないような音量で流すようにしましょう。
ーちなみに、環境音を流す際の「ちょうどいい音量」ってどのくらいなのでしょうか?
辻村先生:普通のオフィスくらいの騒がしさに追加するのであれば、35~40デシベルくらいが作業の妨げにならない音量とされています。イメージしやすくすると、「静かな室内で、普通の風量でエアコンを入れたときの可動音」がだいたい40デシベル。ですので「薄めに空調が動いている静かな部屋」くらいの音量を目安にするのがいいでしょう。
ーちょうどいい音量って、結構静かなんですね…。
音楽は集中目的ではなく、気分転換に聴く
ー今までのお話をまとめると、「集中したいなら、できるだけ静かな環境の方がいい」「周囲の物音が気になるときは、小さく雑音を流すのもOK」「複数人で議論したりアイデアを出すときはある程度の音があった方がいい」という感じでしょうか……。「集中力に直結する音は無い」というのは少し意外でした。
辻村先生:そうですね。とはいえ「気分転換」や「リラックス」という点では、音楽を聞くのは有効だと思います。作業に取り組む前に音楽を聴くとモチベーションが上がることはありますし、休憩中に音楽を聞いてリフレッシュするというのは効果的です。
自席にずっと座っていると、心身ともに疲れて、生産性が落ちるじゃないですか。そんなときに席を離れて、休憩中に音楽を聞く方が効果は大きいです。
ーなるほど。音楽は「集中を促す」というよりも「リラックスするために聴く」ほうがいい、と。
辻村先生:ただ、ちょっと注意してほしいのが、だからといって大音量でヘッドホンの音楽を聞いたりしてほしいわけではないんです。聴覚は生まれた時が一番良くて、あとは死ぬまでずっと悪くなるばっかりなんですよ。
耳の中で音を感知している「有毛細胞」は、強い刺激が加えられると疲労が蓄積され、だんだん壊れていってしまうんです。そうなるともう壊れた部分の高さの音は聞こえなくなる。特に耳の入り口部分の有毛細胞は刺激を受けやすいので、そのあたりの細胞が感知している高音は歳をとるごとに聞こえづらくなります。
ー聴覚はトレーニングで回復するものではないんですね…。
辻村先生:なので、イヤホンを使っているのに周囲に音漏れするくらいの音量で音楽を聞いている人は、ヘタをすると40代くらいで高音が聞こえなくなるんです。これは毎回授業で学生にもいうんですが、そういう音楽の聴き方はとにかくやめた方がいいですね。
ー恐ろしいですね…。これからは、自分の働き方や気持ち、作業内容にあわせて音を選べるようにしようと思います。今日はどうもありがとうございました!
文:しげる 図版・イラスト:かざまりさ 編集:伊藤 駿/ノオト、本田・木崎/なるモ編集部