デジタル時代の昨今、昔に比べてちょっとだけ肩身が狭くなった紙の本。どれほど買ってもかさばらない電子書籍に対して、読む機会がないのであればただ部屋のスペースを取ってしまうだけ。リモートワークの普及によってできるだけ自宅からモノを減らしたい人も増えており、大量の紙の本を置いておくことのデメリットが目立つようになりました。
そんな中、購入した本を読まずに積んでおく、いわゆる「積読(つんどく)」こそが「完全な読書術である」、と主張するのが著述家・書評家の永田希さん。濁流のように情報が押し寄せる現代において、大量の情報をやり過ごし、自分なりの基準で情報を選別・吸収するための方法として、積読の重要性を自著で訴えています。
いやでも、買った本を開かずに置いておくなんて後ろめたく、かえってストレスになるのではないでしょうか? デジタル時代・モバイル時代においてあえて積んでおくことの意味とは? 一見詭弁(きべん)にも思える「積読」の効能とおすすめの積み方を、永田さんに語っていただきました。
永田 希(ながた のぞみ)さん
著述家・書評家。’79年コネチカット州生まれ。書評サイト「Bookニュース」主宰。『このマンガがすごい!』『図書新聞』『週刊読書人』などに執筆。 単著に『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス、2020年)、『書物と貨幣の五千年史』(集英社、2021年)。 2023年3月に新刊『再読だけが創造的な読書である』が筑摩書房より発売。
“本のビオトープ”を作ろう 情報濁流をやり過ごす「自律的な積読」
——「積読」が現代社会にいい、とはどういうことなんでしょうか? 買った本を読まずに置きっぱなしなんて、もったいないことづくしのように思えますが。
永田さん:現代人にはいま、本や新聞だけでなく動画に音楽、ゲームなど、さまざまな情報が大量に供給されながらも消費できないまま日々が過ぎていく「情報の濁流」の時代が訪れています。
この過剰な供給はコンテンツ産業やメディア産業の都合によってもたらされたものですが、抗うことは難しい。新しい情報やコンテンツをつい手に入れては、消費しきれず“積んで置いたまま”になっている人も多いと思います。
——確かに……契約した動画サブスクリプションサービスの「あとで観る」リストだけでもとんでもないことになっていますね。
永田さん:情報を積みっぱなしの状態はどこか後ろめたく気に病んでしまいますし、時代に取り残されるのではないかと焦りも募ります。気づいたらコンテンツの整理ができないままになり、「自分は結局何が欲しかったのか」がわからなくなる。ぼうぜんとしてしまいますよね。これが常態化すると、そのうちセルフネグレクトに陥ってしまう可能性があります。
そうした土石流のような情報に押し流される生活の中で、「自律的に本を積む」ことによって一時的に安心できる避難所のようなものを作ろう、というのが私のおすすめする「積読」のイメージです。
——自律的に積む、とはどういうことでしょう?
永田さん:例えば何も考えずに部屋の中に本を買っては積み続け、闇雲に蔵書を増やしていくのは危険です。それは情報濁流に飲み込まれているだけになり、身を滅ぼしかねません。
ぼんやり本を積むのではなく、まずは部屋の中に限られた蔵書スペースを用意して、あふれるまで本を買って並べておきます。小説でも新書でも図鑑でもマンガでも、いろんなジャンルが混ざっていてもかまいません。その上で、読めていない本があってもいいので、気になる本があったら臆せずに買う。蔵書スペースに収まるように定期的に本を手放し、空けた場所に新しい本を収めるのです。
永田さん:このように限られたスペースで本を取捨選択し続けているうちに、自分が何に関心を抱いているのか、情報に対するフィルターのかけ方が身についていきます。読みきれずに終わった本、なんなら1ページも読めていないものがあっても、本の新陳代謝を起こしていくうちに情報の濁流の中でも自分を肯定できる軸や足場が作られるのです。「新陳代謝」のイメージがとても重要です。
私はこのような積読ゾーンを「ビオトープ的積読環境」と呼んでいます。
——ビオトープ?
永田さん:「小さな生態系がある場所」を指す言葉です(biotope)。人工的なものですと、小中学校の隅に作られた池とか、お店の前にある水鉢とかがイメージしやすいでしょう。
たとえば水鉢は、日光によって水草が酸素を生み出し、水が蒸発しても定期的に雨水が入るので、中を泳ぐメダカや金魚、プランクトンが生き続けることができる。一方で水生物のフンが、植物やバクテリアの栄養になります。
そうした生態系を作るイメージで、棚の中で少しずつ新しい本を積んでは手放しながら“本のビオトープ”を作る。情報に押し流されそうになる混沌の日々の中、自分の興味関心に基づいた小さな情報の生態系が部屋の中にあることは、きっと確かな肯定感を与えてくれるはずです。
情報濁流に呑まれて気づいた「積読」の可能性
——永田さんは、どのような経緯で「積読」というテーマにたどり着いたのでしょう。
永田さん:私はそもそも、人間の経済活動とは何か、本とは何か、読書とは何か、あとちょっと哲学的になりますが「人間が何かを放置する」とは何か、みたいなところに興味があったんです。これらのテーマは、「積読」という言葉を通して考えるとすごくキャッチーになる。
ただ、最初から「積読」について考えようと思っていたわけではなくて。実は自分が先ほどの「情報濁流」に飲み込まれて、息も継げないような状態になったことがあったんです。
——そうだったんですか……。
永田さん:職業柄もあって、本に限らず、DVDでもデジタルデータでも欲しいと思った情報をとにかく買ってしまう日々を送っていました。買ったものを整理しないのでどこに何があるかわからず、気がつくと自暴自棄になって計画性やメタ認知(※)みたいなものが完全に崩壊していました。
必要かどうかの判断というより、欲しいと思ったものにひたすら反応しているだけで、気がついたら整理も何もできていなくて、とてもしんどくなっていた。自分は何がやりたかったんだろうとぼうぜんとしてしまって、それについて考えるのも半ば放棄していました。
永田さん:このままだと本当に死んでしまうと思ったし、現に似たような状態から友人が帰らぬ人となるできごとも起こってしまって。これは避けなければと目線の低い自衛本能が湧きあがり、いろんな友人に部屋を片付けてくれと頼んで、自主的な自立支援をやった結果、だんだん部屋が片付くようになりました。
その過程で「積読」について考え始めたという感じです。
——そうした情報のカオスから永田さんを救い出したのが、ビオトープ的な積読だったわけですね。現在お家ではどのような積読環境を作っているのでしょうか?
永田さん:自分の場合は大量の本やコンテンツに触れる必要があるので、個人的にカスタマイズされすぎているというか、一般の方には真似しづらい積読になっているかもしれません(笑)。
まず本の買い方ですが、第一段階として新刊情報をチェックしてリスト化し、Amazon.comで確認します。次に電子版のサンプルを落として、目次や序文を読む。この段階で、自分に合っている本かどうかひとつめのふるいにかけられます。
——確かに、合わない本って冒頭から合わないですよね。
永田さん:この本はOKだなと思ったら、そのまま電子版を買ってみてスマホの読み上げ機能で倍速で聞いてしまうんです。実際に本を読むのに比べて半分くらいしか頭に入らないですが、自分の場合はチェックリストだけでも本の候補が膨大なので、最近はこの方法で効率よくフィルタリングしています。結果、面白かったものを紙の本で購入します。
電子版が出ていない紙の本は、ある程度吟味はしますがほぼ表紙や書籍情報だけで判断して買いますね。
高速読み上げも慣れるまで大変なので、一般の方はサンプルや書誌情報を確認するだけでもいいですし、タイトルや表紙のデザインなど「何かしらときめきを感じた新刊や古書を買ってみる」くらいで十分だと思います。
——そこからどうやって積んでいくのでしょう?
永田さん:買った紙の本を棚に収めていくのですが、自分の家では小さめの段ボール箱みたいな本箱を10数個、3、4段に積み上げて1つの大きな棚を作り上げる、組み換え可能な本棚を使っているんです。
うち1つの箱は、常時本を入れ替え続ける積読スペース。残りの箱は数カ月に1度ゆるく入れ替える積読スペースにしていて、段々小さな箱のなかでそれぞれのテーマや分野ができあがっていきます。そして分野が確立された箱は、保管用の別の書庫に移動して、また新たな箱を追加してビオトープ的積読を行っていく……というスタイルです。
とまあ、完全に自己流すぎる積読をしてしまっているので、みなさんは1つの本棚やカラーボックスから始めていいと思います。
——一般の方は書庫なんて持っていませんからね。
永田さん:大切なのは本を読めていなくても、定期的に棚の中を新陳代謝させる作業です。これをやるかどうかによって、生きた人間と死体くらい差が出ると思っています。
具体的には、保管しておく本とそうでない本の峻別。そして保管することにした本をどのように本棚に置くか決める作業です。
そのように本棚を新陳代謝させるための基準を自分の中に作って、その基準自体を見直す習慣を持つ。次第に情報を選別するフィルターが厚くなり、レイヤーも複数生まれていく。本はもちろんいろんなコンテンツを買うときも、情報濁流に飲まれずに自分の価値観で選択しやすくなると思います。
手触り、質感……「紙の本」の積読がもたらす読書体験
——思ったのですが、この積読の方法は電子書籍でもできるのではないでしょうか? 専用アプリ内でプレイリストを作って、その中で電子書籍を定期的に入れ替え続ける、みたいに。
永田さん:おっしゃる通り、ビオトープ的積読は電子書籍でも可能です。しかし数千年の歴史がある紙の本と違って、電子書籍はまだ登場したばかり。技術としてまだまだ未熟なため、いろいろと不便があります。
VRやBMI(※)の技術進歩がもしかしたら電子書籍における積読の可能性を広げてくれるかもしれないと考えたりはしますが、現状ではまだまだ使いにくさやリスクがあることは否めません。
——現時点では、紙の本の方が積読にはいい、と。
永田さん:『「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実』(著者:チャールズ・スペンス、訳:長谷川圭)という面白い本があるんです。
心理学や生理学を取り入れて作られた現代料理について解説している本なんですが、その中に「カトラリーが飲食の体験に大きな影響を与えている」話が出てきます。一定の人数に重いカトラリーと軽いカトラリーを使って食事をさせたところ、重いカトラリーを使った食事の方がおいしく高級に感じられ、より高い代金を払ってもいいと答える人が多かったという実験なんです。
これは物理的側面がいかに人間の体験に影響を与えているかという話であって、読書についても同じことが言えるんじゃないかと。
——読書好きな方がよく口にする、「紙の本の方が手触りや質感があっていい」という意見に通じますね。
永田さん:そうです。紙の本が積んである状態からは電子書籍のタイトルが並んだだけの状態とは違う体験が与えられると思います。
フォントや段組みのデザイン、紙質やインクの種類、経年変化や匂いなど、書かれた情報以外のノイズが紙の本にはあって、読者にはそれらが特別な体験として無意識のうちに蓄積されているはず。
本を移動させる際にも、手や足を使って運ぶ感覚などは電子書籍にはありません。棚から紙の本を出し入れすると、首から腰にいたる体幹も使うし、視線も大きく動かす。さらにはその日の天気や時間帯の明るさ、気温など多くの情報が伴い、薄く意識の下に蓄積していきます。
「あの本は確かこの辺に」と言って積んであった本を探すときに、その淡い記憶もセットで思い出されるのですが、これは案外と無視できない影響力がある、と私は考えています。
——五感を通して受け取る情報が多い分、より刺激的で記憶に残る「本のビオトープ」が作れそうですね。
永田さん:とはいえ、そもそも電子書籍と紙の本を比較することには無理があるんです。人間で言えば何千年も生きている長老と生まれたての赤ん坊を比較するようなもの。その2つを比較すること自体がナンセンスです。
なのでそれよりも、生まれたばかりの電子書籍がこの先数千年単位で生き延びて、紙の本と同じくらいの歴史を持った時にどういう能力を持つかを考える方が、私は好きですね。
「積む」後ろめたさよりも、本をさばく訓練を
——話を戻しますが、「自律的に」とか「ビオトープを作る」とか意識をしても、やはり買った本を読まないまま置いておくのは後ろめたい気がします。
永田さん:読んでいない本が積んであると、つい「読みたければ読めばいいのに」と思ってしまいますよね。その原因を解決していないんだから、積読が後ろめたいのは当たり前なんですよ。これはしょうがない。自分にしても、結局本を積んでおくだけの「積読」を全肯定しようとは考えていません。
でも一番よくないのは、「積むのが後ろめたいあまり何も買わない」ことだと思うんですよ。
何を手放すか選択することには、何を買うか決めることと同じくらいセンスが出ます。本をさばき続けることに慣れよう、そうすることで情報の濁流をやり過ごせる自分を鍛えていこう、という話なので、まず本をたくさん積むことには始まらない。「あれもこれも買わないと!」という状況を一度味わうのも情報をさばく訓練としてとても大事なので、自己投資だと思って思い切りやるべきです。
——ほかにも「積読」は生活にどんなメリットをもたらすと思いますか?
永田さん:いまネットを中心に陰謀論やデマが流行っていますが、正しいかどうか自分で判断できるどころか、「また何か話題になっているな」と楽しめるくらいの胆力がつくと思います。
陰謀論なんて存在自体は大昔からずっとあるんですよ。それが「なぜいまになってこんなに流行っているのか」と、邪険にするのではなく俯瞰的に観察できるのはいいことだと思います。ビジネスで関わる人や親戚が流言飛語に翻弄されてしまったときの心構えもできるようになるかもしれません。
——情報濁流に足場があるがゆえの余裕が生まれるわけですね。
永田さん:あとは自分が何に関心を持っていて、どうやってそれを新陳代謝していくか意識がないまま、本を積んでは右から左に処分している……そういう人にはあまり個性が芽生えないのではないかと思うんです。
逆に自分の関心と新陳代謝の方法をわかっていて、それに基づいて本を手放す判断ができている人は、だんだんと面白くかっこよくなる。何万冊も蔵書があるけど、話がつまらないという人はごまんといます。情報にフィルターをかけて、蔵書を新陳代謝させるというのは、そうならないための方法だと思っています。
紙の書籍は、数千年におよぶ人類の知識への憧れと敬意の歴史が詰め込まれています。インテリアやファッション、小物で人生が豊かになるように、あるいは観葉植物や家具を眺めるように、積んだ本と暮らすのは、実はとても贅沢なことです。その贅沢な知識の宝庫は、自分自身の関心や興味を反映しています。自分を見つめ、ある種のメタ認知を促してくる存在として、ビオトープ的積読は「役に立つ」ものだと言えるのではないでしょうか。
取材・文:しげる アイキャッチ・イラスト:pum 企画・編集:黒木貴啓/ノオト、本田・木崎/なるモ編集部